【未来シナリオ予想演習】2022年以降の日本経済はどうなる?自由に語る。1950年代の池田勇人、2022年代の岸田文雄。浮かび上がる不思議なパターン。<最終編①>

こんにちは。2月もすっかり終盤戦。2月が終われば、1年のうちの6分の1が過ぎたことになりますね。コロナ禍以降、時間が経つのがとても速くなった気がします。みなさんはいかがですか?2022年もきっと、あっと言う間に過ぎ去っていくのでしょう。悔いを残さないように過ごしたいものです。

さて、前回、前々回と続いてきたこのテーマ。いよいよ今回で最終シリーズを迎えます。前回、前々回の記事を読んでない方は読んでから読んだ方が理解しやすいと思います。リンクを貼っておきますね。

【未来シナリオ予想演習】2022年以降の日本経済はどうなる?自由に語る。1950年代の池田勇人、2022年代の岸田文雄。浮かび上がる不思議なパターン。<前編> – マネジメントオフィス檜 |吉野智人|秋田市の事業企画・コンサル事務所 (nkd-marketing.fun)

【未来シナリオ予想演習】2022年以降の日本経済はどうなる?自由に語る。1950年代の池田勇人、2022年代の岸田文雄。浮かび上がる不思議なパターン。<後編> – マネジメントオフィス檜 |吉野智人|秋田市の事業企画・コンサル事務所 (nkd-marketing.fun)

前回の記事の復習からスタート。今後の日本経済を予想するうえで5つのポイントを書きました。以下の通り。

【重要ポイント①】コロナ禍以降、消費者物価指数は上がり気味。

【重要ポイント②】市中に出回るお金の量は増え続けた。過去最大を毎年更新中。

【重要ポイント③】2022年以降、消費者物価指数の上昇が更に続く。

【重要ポイント④】物価が上がっても、所得は上がらない可能性が高い。

【重要ポイント⑤】日本の財政は赤字続き。コロナ禍以降はさらに悪化。

【未来シナリオ予想演習】2022年以降の日本経済はどうなる?自由に語る。1950年代の池田勇人、2022年代の岸田文雄。浮かび上がる不思議なパターン。<後編> – マネジメントオフィス檜 |吉野智人|秋田市の事業企画・コンサル事務所 (nkd-marketing.fun)

そして、そこから転換した予想した日本経済のトレンドはこんな感じ。

⭐️所得上昇が伴わない物価上昇が続く⇨街角景気、個人レベルの景況感悪化。

⭐️世の中に出回っているお金の量は過去最大規模⇨お金が余り、お金の価値が下がる。

⭐️日本の財政は赤字が続くが税収アップは見込めない⇨国家財政の不安。

【未来シナリオ予想演習】2022年以降の日本経済はどうなる?自由に語る。1950年代の池田勇人、2022年代の岸田文雄。浮かび上がる不思議なパターン。<後編> – マネジメントオフィス檜 |吉野智人|秋田市の事業企画・コンサル事務所 (nkd-marketing.fun)

自分で予想しておいて何だが、なかなかハードだぞ~!(笑) ただし、公開情報をもとにアホ成りに真剣に考えたので、冗談とはあまり思えん。さて、では具体的にどんなことが起こるのか?予測を立ててみましょう。その際、参考になるのはズバリ、戦後(特に1949年前後)の日本経済の状況と、時の総理、吉田茂政権下で蔵相をつとめた池田勇人が推し進めた一連の政策(ドッジライン含む)だ。ここに大いなるヒントが隠されている!気がする(笑) 詳しく見てみよう。まずはドッジラインとは何だったのか?そしてどういう背景で実施された施策であったのか?

実は、終戦後日本の経済がどんな状況下に置かれていたかは学校の授業を聞いていてもあまりリアリティが湧かない。自分で勉強しないとよくわからない時代なんだよな~ ドッジラインについてもテストの問題に出てくることがたまにあっても、イマイチピンとこない(少なくとも私はそうだった)。ドッジライン前後の日本の状況はどんなものだったか?非常に分かりやすいサイトがあったので引用させていただきます。

1949(昭和24)年3月7日、米国のGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)よりドッジ・ラインが施行されました。

 ドッジ・ラインとは当時、極度のインフレとなっていた日本経済の自立と安定とのため、GHQが実施した財政金融引き締め政策です。

 経済顧問として訪日したデトロイト銀行頭取のジョゼフ・ドッジ氏が立案したもので、9原則が発表され、対日援助見返資金特別会計の新設、復興金融金庫、財政補給金の廃止など、国債償還を盛り込んだ超均衡予算を実施。収入以上の支出を認めないという、大規模な支出緊縮が実行されました。

 またドル/円の為替レートも一律360円で固定。その結果、日本のインフレは収束し、財政も黒字に転換しました。半面、中小企業の倒産や、合理化推進が招いた失業者増大を併発。社会不安を激化させ、経済恐慌も招き、日本経済は新たな局面を迎えることになりました。

楽天証券 トウシル「ドッジ・ライン発表【1949(昭和24)年3月7日】」より引用

いくつか重要なポイントが入り混じっているので整理します。

  • 1949年当時、日本は極度のインフレとなっていた。
  • ドッジラインとはGHQが実施した財政金融引き締め政策のことを指す。
  • 結果、日本のインフレは収束。
  • しかし、同時に中小企業の倒産や失業者増大で社会不安が激化。経済恐慌も招いた。

理解を深めるためにもう1記事引用してみよう。天下のトヨタ自動車関連のサイトから。

第2次世界大戦後、新たな国際秩序が形成されるとともに、東西両陣営の対立が鮮明になった。このような国際情勢の変化に伴い、GHQ(連合国軍総司令部)の経済政策も日本の民主化から安定化・自立化へと転換した。1948(昭和23)年12月には「経済安定9原則」の実施が日本政府に指令され、これに沿った経済安定化政策を指導するため、1949年2月1日にデトロイト銀行頭取ジョセフ・ドッジが公使兼GHQ財政顧問として来日した。

ドッジ公使は、「ドッジ・ライン」と呼ばれる一連の経済安定化政策を進めた。その基本は、通貨供給量を減らし、インフレを克服することにあった。具体的な施策としては、総需要を抑制するための超均衡予算の編成があげられる。1949年度予算はドッジ公使の指導により、それまでの赤字予算から、一転して黒字に転換する超緊縮予算となった。

<中略>

ドッジ・ラインの経済安定化施策の一つとして、1949年4月23日には1ドル360円の単一為替レートが実施された。市場経済の機能回復を目指した政策であり、あわせて補助金の廃止、各種の制限や統制の撤廃を行った。

トヨタ自動車75年史より引用 トヨタ企業サイト|トヨタ自動車75年史|第1部 第2章 第6節|第6項 ドッジ不況と自動車生産・販売の自由化 (toyota.co.jp)

この記事から分かる大事なポイントを拾ってみよう。

  • ドッジの指導により、日本の財政は赤字予算から一転して黒字に転換することになった。
  • ドッジラインでは、補助金の廃止、各種や統制の撤廃を行った。

2つの箇条書きをここでさらにまとめます。

<背景>

1949年当時、日本は極度のインフレとなっていた。

<打ち手>

財政金融引き締め政策を実施(ドッジ・ライン)。また、補助金の廃止なども行った。

<結果>

日本のインフレは収束。しかし、同時に中小企業の倒産や失業者増大で社会不安が激化し経済恐慌へ。

ちなみに、ドッジラインの結果引き起こされた経済恐慌はどんなものだったか?”不景気”ではなく”恐慌”という表現に注意したい。当時の様子については、前掲載した「トヨタ自動史75年史」に詳しい。見てみよう。

1949(昭和24)年10月の自由販売への移行により、自動車市場は買い手市場に変わり、統制下の売り手市場に慣れた自動車販売業界は混乱状態となった。その結果、月賦手形による分割払いが増加し、月賦の条件も次第に悪くなるなど、販売条件は急速に悪化していった。

トヨタの販売店では、自由販売になると同時に月賦販売を開始した。普通トラックの場合、1949年11、12月の月賦販売の比率は、それぞれ85%、87%であった。小型トラックの月賦販売比率は、同年11月の47%から12月には61%へと急上昇し、しかも平均月賦期間が長期化する傾向を示していた。

これらのことは、不渡り手形の大量発生につながった。そして、その穴埋めをトヨタ自工が負担することになったため、深刻な経営危機を招いた

<中略>

労働組合も協力した懸命な合理化努力にもかかわらず、鉄鋼値上げ分を吸収できず、1949年11月には3,465万円の営業損失となった。損失の拡大はその後も続き、翌12月には1億9,876万円へと急増した。そして、同年末には12月度賃金の一部支払い2、協力工場への仕入代金支払い、車両販売手形の買い戻し、借入金返済などのため、不足資金2億円を借り入れなければならない事態に陥った。

トヨタ企業サイト|トヨタ自動車75年史|第1部 第2章 第6節|第6項 経営危機の発生 (toyota.co.jp)

ちなみに、1949年当時の1円は今でいう200円くらい。なので当時トヨタ自動車が計上した1949年11月の3465万円の営業損失は今でいえば約6億円に値する。となると不足資金2億円は今なら400億円(!)当時すでに日本を代表する企業であったトヨタ自動車がここまで苦境に立たされるとはまさに恐慌と呼ぶにふさわしい。

ちなみに、危機はこれで過ぎ去ったわけではない。翌年の1950年もドッジラインの余波で非常に厳しい経営環境に置かれることになった。事実、中小企業の破産や工場閉鎖が続出した。それに対して当時の池田勇人蔵相はこう発言している。

「中小企業の倒産もやむを得ない」、「中小企業の四人や五人死んでも差支えない」と放言した。これは
与野党ばかりではなく一般国民をも著しく刺激して重大な政治問題となった。

出典:「ドッジ・ライン下における中小企業」1961年2月10日 染谷孝太郎  明治大学学術成果レポジトリより

今で言うと財務省や金融庁のトップが発言しているようなものなので、発言内容の良しあしではなく、当時中小企業の倒産は街中に溢れていたのだろうなぁとイメージできますね。

では、当時日本が陥っていたインフレを打開するために何をやったか?経済安定9原則,ドッジライン、2つの取り組みを詳しく見ていきましょう。

<経済安定9原則>

  • 総合予算の真の均衡をはかること(財政引締)
  • 徴税計画を促進強化すること
  • 融資を経済復興に貢献する事業に限定し、信用拡張に限定を設けること
  • 賃金を安定すること
  • 物価統制を強化すること
  • 外国為替管理を強化すること
  • 配給制度を能率的にすること
  • 重要国産原料、製品を増産すること
  • 食糧集荷計画の能率向上を図ること

<ドッジライン>

・税制改革:直接税中心主義を採用。所得税は徹底した総合課税とし、最高税率を引き下げる代わりに富裕税を新たに設置など→要するに課税強化

・補助金の大幅な削減→要するに国から一般庶民への支援ほぼストップ

・復興金融金庫債の発行を停止し通貨の膨張を抑える→要するに一種の不胎化政策

いかがでしょうか?私は時代が変われど、日本がインフレ退治する際の手法は基本的に変わらないと思っています。なので、新型コロナウイルスの感染拡大で引きおこされている未曾有のインフレを退治する局面になったとき、同様のパターンで対策を講じる可能性が高いと判断しています。

次回詳しく述べますが、日本で今後インフレが先進国並みに進んだ場合、必ずインフレ退治に出張ってきます。そして、インフレ退治で国が推進することは終戦後のインフレ退治とそんなに変わらない。そして、それによって引き起こされる結果も同様のものに。次回予告もかねて新型コロナウイルスの感染拡大が収まり、インフレがより鮮明になる数年後、日本政府が講じる策は以下のものになる可能性が高い。

①より徹底した国家財政の支出削減

②人員整理や早期退職または起業を促すためのリストラ振興

③金融市場の徹底引締め

④更なる課税強化

⑤国家財政の「超健全化」の重視

お読みいただきありがとうございました(^^)/ 次回も続くよ。

【未来シナリオ予想演習】2022年以降の日本経済はどうなる?自由に語る。1950年代の池田勇人、2022年代の岸田文雄。浮かび上がる不思議なパターン。<後編>

こんにちは。前回の記事はおかげさまで当ブログ最高記録となる1日22PVを記録!こんな小さな零細ブログに20人以上の方が訪れたとは。。。感慨深い、だって1日1PVが普通のブログだもの。今回の記事は前回記事の続きなので読んでない方はこちらからどうぞ。

当ブログで最高PVを記録した記事でもある。

さて、後編の始まりです。この後編では具体的に2022年以降日本のマクロ経済にどんなことが起こりうるかズバリ語っていくよ〜。本論に入る前に理解を深めるために少々マクロ経済の観点で日本経済の状態を振り返ってみよう。では、質問。2000年代からコロナ前(2020年2月頃)までの日本経済はインフレ?デフレ?どっちの方が長かったでしょう?

もちろん、試験ではないのでデフレとインフレの意味も復習してみることにしよう。まずはインフレ。

需給の逼迫などでモノやサービスの価格が上昇すること。経済の成長には適度なインフレが望ましいとされており、主要な中央銀行は2%程度の物価目標を掲げている。

https://www.nikkei.com/article/DGKKZO78837880Y1A221C2M11900/

次はデフレ。

物やサービスの値段が継続的に下落している状態を指す。消費者にとって一時的な購買力の増加につながるが、長い目でみれば企業収益の悪化や所得の減少、資産価値の下落を招く。実質的な債務負担の増加にもつながる。

https://www.nikkei.com/article/DGXNASGC0301X_T00C10A8NN8000/

さて、どっちだ???

正解はデフレ。

実際にいつからいつまでがデフレの期間だったか?以下、総務省統計局のウェブサイトにはこう書かれています。

「平成」は、日本が戦後初めて経験する「デフレの時代」でした。 消費者物価指数(総合指数)は、戦後一貫して上昇してきましたが、平成11年(1999年)以降は、一時期を除き、継続して下落するようになりました。これが再び上昇に転じたのは、25年(2013年)です。物価は、大きな経済危機や原油価格の暴落などがあった年には、一時的に下落することがあります。このため、「デフレ」という言葉を使うのは、一般に、2年間以上、物価の下落が続いたときです。したがって、消費者物価指数(総合指数)の前年比上昇率からみると、物価が下落に転じてから2年後の13年(2001年)から24年(2012年)までの時期を、「デフレの時代」ということができると思います。

「平成」は、どのような時代だったか?~人口減少社会「元年」、非正規雇用、女性活躍、デフレ〜 総務省統計局https://www.stat.go.jp/info/today/146.html

2001年から2012年までがデフレの時代ということになりますね。このことから日本経済は2000年代においてはデフレ経済にあったということ分かります。

ただ、こうしたマクロ的な変化はなかなか実感が湧きづらい。なので、ちょっとイメージを膨らませてみましょう。物やサービスの値段が下落している状態がデフレの定義でした。私の感覚ですが、2000年代以降街中に急激に100円ショップやファースフードチェーン店、1000円カットの美容室が一気に増えた気がします。あなたの街でもそうではないですか?格安住宅など安さをウリにしたハウスメーカーもかなり数が増えましたね。

では、日本経済は完全にデフレから脱却したか?と言うと実は事態はそう単純ではない。2012年末に発足した安倍内閣以降確かに、物価が下がり続ける現象は一旦収束したように見えました。ところが年と月によっては、物価上昇率が0%台となったり、マイナス%になったりと完全に脱却したとは言えない状況が実は2012年以降も続いていました。そこで登場したのが日本銀行の「物価安定目標」という考え方。これ非常に大事。なぜなら、この考え方の出現以降、日本のマクロ経済の運営の基盤はこの考え方が主流となったからです。当然、2022年のマクロ経済もこの延長線上にある。。。

では具体的には何を行う施策なのか?以下、日本銀行のサイトから引用です。

日本銀行法では、日本銀行の金融政策の理念を「物価の安定を図ることを通じて国民経済の健全な発展に資すること」としています。物価の安定が大切なのは、それがあらゆる経済活動や国民経済の基盤となるからです。市場経済においては、個人や企業はモノやサービスの価格を手がかりにして、消費や投資を行うかどうかを決めています。物価が大きく変動すると、個々の価格をシグナルとして個人や企業が判断を行うことが難しくなり、効率的な資源配分が行われなくなります。また、物価の変動は所得配分にゆがみをもたらします。こうした点を踏まえ、日本銀行は、2013年1月に、「物価安定の目標」を消費者物価の前年比上昇率2%と定め、これをできるだけ早期に実現するという約束をしています。

2%の「物価安定の目標」と「長短金利操作付き量的・質的金融緩和」 日本銀行 ホームページから引用

どこかで聞いたことあるキーワードが出てきていないだろうか?注目すべきは「物価安定目標」。そして、目標となる数値が前年上昇率2%であるということだ。では具体的に、日銀は「物価安定目標」を達成するにあたってどんな金融政策を実行してきたか?代表的なのはズバリ「異次元金融緩和」だ。細かい解説をしていくとこの記事で伝えたいことから外れてしまうので・・・大事なところだけ。異次元金融緩和は量的緩和と質的緩和という2つの行為が含まれている。有名なのは量的緩和、そしてこの記事を読むにあたって知って欲しいのも量的緩和だ。量的緩和の目標はズバリ「資金供給量(マネタリーベース)を2年間で2倍にする」ことだった。なお、最初の時点では「2年間で2倍」という話だったのだが、当然2年で量的緩和が終わることはなかった、今も基本路線は継承中。では、この金融緩和の結果どうなったか?以下の図を見てみよう。

20180501_1.gif

分かることは意外とシンプルだ。

  • 【物価】目標の前年比2%の上昇率に届かなかった。
  • 【お金の量】マネタリーベース(市中に出回っている現金と金融機関が日銀に預けている当座預金の合計値)は右肩上がりで増え続けた。

ちなみに、図は2018年までだが、コロナ以降はどうだろう?結論、マネタリーベースは増え続けている。

日銀は5日、市中に供給している令和3年末のお金の総額が、2年末と比べて8・5%増の670兆674億円だったと発表した。新型コロナウイルス禍で打撃を受けた企業の資金繰りを支えるため、融資を担う金融機関に対して積極的な資金供給を続けたことが全体を押し上げた。総額は過去最大を更新した。

3年末お金の量670兆円 日銀、コロナ対応で最大 https://www.iza.ne.jp/article/20220105-OHFBLDTHYJOFFBQPW7WECQHDFU/

では、消費者物価はどうだろう?下がり続けているのだろうか?

消費者物価の推移
出典:第一生命研究所ホームページ「消費者物価が2%に近づくとき」より

図をご覧いただければ分かるとおり、消費者物価は少しずつ上がり始めているのだ。最近は落ち着いてきたように見えますが、実はこれがトリックがある。携帯電話の値下げが消費者物価指数の引き下げに大幅に貢献してきたのだ(2021年11月時点での寄与度はマイナス1.48%)。通信費の引き下げ効果はずっと続くわけではない。2022年4月にはその効果もなくなり、遂に2%に達成するのでは?という見方をする人も多い。あまり実感がないかもしれませんが、実は日本経済は大きな大きな転換点を迎えつつあるのです。

さて、これまで述べてきたこと整理し、重要なポイントを列挙します。

<前提状況>日本経済は2010年代から長らくデフレに悩まされてきた。

【重要ポイント①】コロナ禍以降、消費者物価指数は上がり気味。

【重要ポイント②】市中に出回るお金の量は増え続けた。過去最大を毎年更新中。

さて、上記に述べたポイントを頭に入れて、少し考えてみましょう。これから日本経済はどんな方向に向かっていくでしょうか?いろんな考え方がありますが、話をシンプルにするためデフレか?インフレか?という2つの視点で大雑把に分けるとしよう。では、デフレ、インフレ、2022年以降の日本経済はどちらに向かうでしょうか?

私は間違いなくインフレに向かっていくと考えています。実際、日本以外の先進国はコロナ以後、すごい勢いでインフレに向かっている。ユーロ圏、アメリカ圏の消費者物価指数は2%以上のスピードで上がり続けている。

United States Inflation Rate
出典:Tradingeconomicsサイト「アメリカ消費者物価指数推移」

日本の消費者物価指数は、世界先進国に比べればまだマシだ。原因は色々あるが、そもそもコロナ以前からデフレ経済が常態化していたので、スタート地点の物価指数が低かったという点が大きいはず。だから比較的マシなのだ。だがしかし、いつまでもこのマイルドなインフレ傾向が続くか?いや、到底そうは思えない。実際、2022年の4月は携帯電話の値下げによる消費者物価指数の引き下げ効果がほぼゼロになり、2%以上の到達も予想されている。アメリカ並みに上がるとすると、、、これは事件だ。さて、このことを重要ポイントの3つ目として追加しておきましょう。

【重要ポイント③】2022年以降、消費者物価指数の上昇が更に続く。

ちなみに、インフレが進むことは悪いことなのか?実はそうとも限らない。物価の上昇に加えて、所得の上昇が同時に進んでいけばあまり問題ないんだよな。今の日本はどうだろう?所得の向上の見込みは立っているのか?残念ながらそんなことはない。事実、日本は先進国の中で所得があまり増えてない国の1つになっている。

photo
出典:Monoist 「われわれは貧困化している!? 労働賃金減少は先進国で日本だけ」より https://monoist.itmedia.co.jp/mn/articles/2103/29/news006_3.html

他の先進国は上がっているのに日本はあまり上がっていない。韓国に抜かれるのも時間の問題だろう。そして、コロナ禍以降はさらに厳しい経済状況に置かれている日本経済。ただでさえ所得が上がりにくかった日本、コロナ禍の状況下で所得が今後上がる可能性はかなり低いと言わざるを得ない。はい。これも重要ポイントに追加しよう😊

【重要ポイント④】物価が上がっても、所得は上がらない可能性が高い。

さて、最後に2022年以降の経済を予測する上で大事なポイントがある。それは日本の財政状況だ。ポイントは単純。余裕があるか?それともないか?だ。これは考えるまでもないですね😊 今の日本、財政状況に余裕なんてありません。企業に例えると赤字。歳出が税収を上回る状況がずっと続いている。ではなぜ成立しているかというと、借金(建設公債、特例公債)で賄っているから。良し悪しではなくて状態として把握しておいてくださいね。しかしながら、令和2年の歳出額はすごい。まさにワニの口。

一般会計における歳出・歳入の状況
出典:財務省ホームページ

【重要ポイント⑤】日本の財政は赤字続き。コロナ禍以降はさらに悪化。

さて、ようやく2022年の経済予測をする材料が整いました。長かった!まとめるとこんな感じね。

2022年以降の日本経済を予測する材料集

【重要ポイント①】コロナ禍以降、消費者物価指数は上がり気味。

【重要ポイント②】市中に出回るお金の量は増え続けた。過去最大を毎年更新中。

【重要ポイント③】2022年以降、消費者物価指数の上昇が更に続く。

【重要ポイント④】物価が上がっても、所得は上がらない可能性が高い。

【重要ポイント⑤】日本の財政は赤字続き。コロナ禍以降はさらに悪化。

材料集から2022年以降の経済トレンドを考えてみよう。

⭐️所得上昇が伴わない物価上昇が続く⇨街角景気、個人レベルの景況感悪化。

⭐️世の中に出回っているお金の量は過去最大規模⇨お金が余り、お金の価値が下がる。

⭐️日本の財政は赤字が続くが税収アップは見込めない⇨国家財政の不安。

実はこうした経済状況は、池田勇人がドッジラインを進めた1940年代の日本にそっくりなのだ。

池田勇人はその時何をしたのか?ドッジラインとはなんだったのか?結果、日本はどうなったのか?

過去を振り返ることで未来が見えてくる。結局、終わらなかった。次回最終編に続きます!

お読みいただきありがとうございました。ちなみに、予告です。近い未来、令和版ドッジラインは多分やらざるを得なくなります。

【未来シナリオ予想演習】2022年以降の日本経済はどうなる?自由に語る。1950年代の池田勇人、2022年代の岸田文雄。浮かび上がる不思議なパターン。<前編>

こんにちは。今回は非常に硬派なテーマでお送りします(笑)ライトな記事が好きな人には少々辛いかも。ご承知おきください。

さて、みなさんは歴史を学ぶことは好きですか?私は歴史を学ぶことが大好きです。義務教育の中で学ぶ主要5教科の中でも歴史が一番好きでした。社会人になっても歴史に対する学習意欲は高く、時間がある時は歴史上の人物や出来事に関して理解を深めています。かのアインシュタインも次の名言を残しているように歴史を学ぶことはとても有意義な時間の使い方だと私は思いますよ。

過去から学び、今日のために生き、未来に対して希望をもつ

アルベルト・アインシュタイン

さて、そんな歴史好きな私ですが、一番どこの時代が好きかと聞かれればこう答えます。実は昭和初期から今に至る、近現代の歴史が好きだと。具体的には”戦後からの復興〜高度経済成長〜バブル経済の始まりと終わり”あたりが好み。なぜか?戦争で負けて文字通り焼け野原が広がる壊滅的な状態から世界有数の経済大国に至るまでの道のりに興味があったからです。

その割に学校の教科書で学ぶ時間が少なすぎる。昭和の日本、平成の日本、今は令和の日本が地続きにリアリティを持って把握することはとても難しいのだ。今後もこの傾向は続くでしょう。三島由紀夫が予言していた通りの将来が現実味を増す2022年令和時代の日本。(三島の予言の詳細。日本経済新聞の特集記事に飛びます。興味ある方はどうぞ:https://www.nikkei.com/article/DGKKZO65222430Q0A021C2BC8000/))

さて、前置きは以上として本題へ。そんな近現代の歴史好きの私は最近、”戦後の宰相 池田勇人”をテーマに描かれた一冊の本を読み終えました。池田勇人さんが何をしたか?どこからお金を調達していたか?アメリカの誰と交渉をしていたのか?などさまざまなテーマが散りばめられていた本でとても面白かったです。

が、それ以上に私が興味を覚えたのは、池田勇人が大臣を勤めていた当時の日本の状況と、2022年の日本の状況には不思議な共通点がいくつかあったからです。次の項からは当時の日本が置かれていた状況を振り返りつつ、特徴的だった出来事を取り上げてみよう。そして、2022年今の日本が置かれた状況と照らし合わせて何が起こるか?を自由に語ってみよう。

歴史は繰り返す。最初は悲劇だが、二番目は茶番だ。

カール・マルクス

まず池田勇人とは何をした人なのか?大まかに振り返ってみよう。以下はコトバンクからの引用。主な取り組みを抜粋してみることにしよう。引用が長いがご勘弁を。非常に濃密な政治人生を歩んだ人物のため略せる箇所が少ないのだ。

政治家。広島県生まれ。京都帝国大学法学部卒業後、大蔵省に入省し、おもに税務畑を担当。1947年(昭和22)大蔵事務次官となる。1949年の総選挙で衆議院議員(広島2区)に当選し、第三次吉田茂内閣の蔵相に抜擢(ばってき)されドッジ・ラインによる財政整理にあたった。1950年3月「中小企業の一部倒産もやむをえない」、また同年12月には「貧乏人は麦を食え」と放言した。<中略> 第四次吉田内閣の通産相であった1952年11月には国会答弁中、先の中小企業についての放言を繰り返し「ヤミなど不当投機をやった人が5人や10人倒産し、自殺するようなことがあってもやむをえない」と述べたため、第二次世界大戦後初めての閣僚不信任で辞任した。<中略>1960年の安保闘争で岸内閣が退陣すると、その後を受けて同年7月、池田内閣を組織した。「寛容と忍耐」を政治姿勢として、「所得倍増」、高度成長政策を打ち出し、国論対立の焦点となる政治問題を意識的に回避しようとした。1964年11月病気のため退陣するまで4年4か月にわたって政権を担当。池田の採用した高度成長政策は、一面で日本を資本主義諸国間でGNP(国民総生産)第2位の地位に押し上げたが、他面で物価の上昇、公害、農村破壊などの新たな国民生活上の問題を生み出した。

https://kotobank.jp/word/池田勇人-30297

池田勇人の取り組みは、大雑把に分けると<蔵相時代>と<総理時代>に分けることができる。それぞれの時代に取り組んだことは次のようにまとめることができる。コトバンクに掲載されていない著名な取り組みも可能な限り、拾い出しながら振り返ってみよう。

蔵相(大蔵省の長官)、通商産業大臣時代:1949年〜1952年

  • ドッジ・ラインによる緊縮財政(企業合理化による人員整理、厳しい金融引き締めなど)
  • 住宅金融公庫設立(現在の独立行政法人住宅金融支援機構の前身)
  • 日本専売公社(後のJT)
  • シャウプ勧告と税制改革
  • 日本輸出銀行(現在の国際協力銀行)、日本開発銀行(現在の日本政策投資銀行)設立
  • 日本興業銀行(みずほ銀行の前身行)、日本長期信用銀行(現在の新生銀行)の設立
  • 投信法の提出(後の株式投資ラッシュにつながる)
  • 農地法の制定 
  • 度重なる問題発言

総理時代:1960年〜1964年

  • 所得倍増計画の発表
  • 全国総合開発計画の発表
  • 太平洋ベルト地帯の形成などインフラ投資
  • 高等専門学校の設置
  • 農業基本法の制定

難しいことはさておき、どうだろう?この取り組みの数々。令和時代の礎となる日本経済の基盤を整備したとも言えるのではないだろうか。ただ、この記事は池田勇人の偉業を讃えるために書いたわけではない。2022年以降に起こりうる出来事を語るためだ。

さて、そうした観点で池田勇人の業績を眺めてみると注目すべきポイントは相当絞られる。色々と語りたいのだが、それだとこの記事が超大作になってしまうので困る笑 ということで、1つに絞ろう。ではその1つとはどこか?

ドッジ・ラインによる緊縮財政(企業合理化による人員整理、厳しい金融引き締めなど)

ここに尽きる。なぜこの取り組みを池田勇人が実施したか?どんな課題に対する処置だったのか?その結果日本社会にどんな変化が起きたか?深掘りをしてみると当時の社会情勢が不思議なくらい、2022年時点の日本と似ていることに気が付く。

結果、岸田さんが首相をつとめる2022年以降日本にどんな変化が訪れるか?ある程度予測することが可能になる。何も無根拠に述べているわけではない。じっくりその理由も語ろうと思うんだ。思わず長くなってしまったので次回<後編>に続きます。お読みいただきありがとうございました😊

追伸)岸田さんが尊敬する人は池田勇人。岸田さんが所属する宏池会は池田勇人が創った派閥。出身地はどちらも広島県。

令和に染みる、武者小路実篤とアントン。アフターコロナは元気な人が大活躍する時代だ。

こんにちは。2月もあっという間。1月のハッピニューイヤー気分はオミクロンの猛威で吹っ飛んだね。サラリーマンも事業主も男も女も老いも若きも関係なく、なかなか生きるのにハードな世の中だ。先が見えない状況というのは人それぞれ個人的に体験されてきただろうが、世界全体、社会全体がここまで出口が見えない雰囲気に包まれているのは未体験だよね。足元の経済も相当不安定。

確かなのは今後も物価上昇は続き家計を圧迫するということぐらい?4月度は日本でも約2%の物価上昇が見込まれている(日本の物価は4月上昇後に高止まりも、「2%実現に現実味」と専門家 https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2022-02-10/R72NULT0G1L101)。

日本はアメリカと比べればまだマシな状況と言える。が、それでもね。。。(米消費者物価7.5%上昇に加速-40年ぶりの伸び率、予想も上回るhttps://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2022-02-10/R73C8PT1UM1101

2000年代以降は物価が下がりに下がった時代だった。100円ショップやプチブラショップも増えたね。でも、生活はどうだろう?楽になったかな?おそらくですが、生活が上向く実感はあまりなかった人が多いと思う。特に秋田のような地方都市はITバブル、中国特需、インバウンド観光の恩恵も少なかったからさ。それでも何とかみんな前向きに生きていこうと思っていたのは、辛うじて物価が下がっていったからだと思います。格安住宅も増えたね、2000年代。でも、2022年以降は、ただでさえ低体温的な経済環境下で物価が上がる、そしておそらく長期金利も上がる。これはキツイな〜。2%の物価上昇は所得が2%減るのと近い。勘弁してくれ〜笑

しかしながら、コロナ禍収束の見通しがたたなくても、経済の出口が見えなくても、物価上昇が続こうと、人生と生活は続きます。では、そうした状況下の中でどういった人が活躍するのだろうか?少しイメージしてみよう。どの産業セクターが盛り上がるか?などという小さな話はさておきね。私はズバリ今後は「元気がある人」が活躍する時代になると思う。コロナ禍で起きた変化を上げたらキリがない。ただ、心の不安を訴える人、感じるようになった人は多くなったのではないだろうか? 実際、アメリカでは小さい子供の精神疾患がコロナ禍で増えってしまった。

コロナ禍でメンタルヘルスの不調が増大…子どもの心のケア「非常事態宣言」の意味

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/91568

パンデミックは経済活動はもちろん、人心にも深い影響を与えてしまう。日本も例外ではないでしょう。実際、元気いっぱいな人は徐々に少なくなってきている気がします。サラリーマンやパートタイマーの人は元気がない人がだいぶ増えたかな?では、今後、社会に明るいトピックスが増えて状況が好転する確率があるかというとゼロではないがあんまり期待できない気がする。

なぜか?冒頭触れたように今年の春以降、日本に2つの波が襲ってきます、「物価上昇」と「金利上昇」。高度経済成長やバブル経済の時にあった物価上昇や金利上昇とはわけが違います。生活はきっと苦しくなるし、事業活動も苦しくなる。こういう状況下では頼りになるのは”元気”だ。冗談ではなく真面目に私はそう思っています。お金があっても無くなれば元気がなくなる。保証や社会サービスで守られていても無くなれば元気がなくなる。でも、どんな状況であれ元気な人は”元気”なのです。

不安定で出口の見えない時代だからこそ、元気な人が待望される。元気な人を見ると、人は元気になります。元気な人には人が集まってきます。ご商売だってそうでしょう?気の毒な表情をしている人と元気いっぱいな人のお店があったらどっちに行きます?元気いっぱいな人に行く人が多いでしょう? から元気はいざというときに役に立ちませんし、長続きしないのでお勧めしません笑 心も体も元気な状態を保つ人たちこそが今、必要なのです。真面目に。だから、アフターコロナの社会下で、幸せになるためには何が必要か?勤め先やビジネススキルはある意味二の次になるでしょう。学歴も性別も二の次。起業したいなら元気でいましょう、プランはなんでもいい。結婚したいなら元気でいましょう。異性も元気な人に惹かれます。元気であればなんとかなる。そんな時代が本当に目の前に来ています。

最後に、アフターコロナで求められる元気がどういうものか?とてもわかりやすい詩があったのでご紹介。武者小路実篤で「進め、進め」。お読みいただきありがとうございました。

自分達は後悔なんかしていられない。

したいことが多すぎる。進め、進め。

麦が出来そこなった!それもいいだろう

あとの為になる。進め、進め。

家が焼けた!それもいいだろう。

新しい家がたつ。進め、進め。

人がぬけました仕方がない、

更にいい人が入るだろう、進め、進め。

何をしたらいいのかわからない!しなければならないことを

片っぱしからしろ、忠実に。進め、進め。

こんな歩き方でいいのか。いいのだ。

一歩でも一寸でも、信じる道を進め、進め。

神がよしと見た道はまちがえのない道だ

進め、進め。

兄弟姉妹の幸福を祈って

進め、進め。

つい足をすべらした

かまわない

過ちを再びするな。進め、進め。

後悔なんかしていられない、

したいことが多すぎる。進め、進め。

武者小路実篤「進め、進め」より

【人生が好転する戦略の超基本】”捨てること”と”決めること”を徹底する

こんにちは。あっという間に2月になりました。旧暦でいうと如月。如月の意味が気になったので調べてみました。

如月は、寒さで着物を更に重ねて着ることから、「着更着(きさらぎ)」とする説が有力とされる。

その他、気候が陽気になる季節で「気更来(きさらぎ)」「息更来(きさらぎ)」とする説。

草木が生えはじめるで「生更木(きさらぎ)」とする説。

草木の芽が張り出す月で「草木張り月(くさきはりづき)」が転じたとする説がある。

如月/きさらぎ – 語源由来辞典 (gogen-yurai.jp)

いろいろな意味があるのでびっくりしました。個人的には気候が陽気になる季節「気更来」という説がお気に入り。今年の秋田の冬は特に寒い気がするので春が待ち遠しい。ただこれも捉え方1つで随分印象が変わりますよね。寒さがピークを迎えるということは、もう少しで温かくなるサインとも捉えることができます。冬を乗り越えるのは大変ですが、「冬来たりなば春遠からじ」の気持ちで元気にがんばりましょう。

さて、今日は”人生が好転する戦略の超基本”と題してお送りします。人生が好転と書くとちょっと怪しい?(笑) まぁ、内容は至って硬派なのでお付き合いください。私は普段のコンサルティングで大切にしている考え方があります。

「捨てること」と「決めること」

マネジメントオフィス檜のコンサルティングモットー

経験上ですが、売り上げが少なくて困っている事業者さま、今後の見通しが総じてネガティブな事業者さまはこの2つができない方が多い。どうしても全部やろうとしちゃう。そして、意思決定ができない。例えば、1人社長で印刷業を営んでいる会社があったとしましょう。この会社は何でも印刷しちゃう。名刺、Tシャツ、シール、ポスターなんでも。それで売上が思うように上がらない、または利益が少ないという悩みを抱えていた場合どんなアドバイスが必要でしょうか?

私がコンサルタントなら真っ先に、「何でも印刷しちゃう」という考えを捨て、「●●の印刷に特化する」という意思決定をすることを促します。なぜか?ヒト・モノ・カネが限られている小中規模事業者さんは、「ここは負けない!」と局所戦を仕掛けたほうが勝ちやすいからです。これは専門用語ではランチェスター戦略の「弱者の戦略」と呼ばれています。概要は以下の通り。私が考えたわけじゃないですよ(笑)

ランチェスター戦略とは、販売競争に勝つための理論と実務の体系で、世界で最も広く利用されている戦略の1つといわれています。弱者が強者に勝つための戦略方法で、中小企業が大企業に勝ち抜くために役立つ戦略です。

ランチェスター戦略とは? ルーツや法則、活用方法などについて – カオナビ人事用語集 (kaonavi.jp)

弱者の戦略としての考え方は第1法則にあたり、戦闘力は、「武器効率(質)×兵力数(量)」で求められます。この公式にあてはめると多数の兵士(社員)がいる側(大企業)が圧倒的に有利ですが、社員の少ない中小企業は、数ではなく質を高める戦略に替えればよいのです。労働環境を整えて業務を効率化すれば成果も上がります。弱者の基本戦略は差別化です。

ランチェスター戦略とは? ルーツや法則、活用方法などについて – カオナビ人事用語集 (kaonavi.jp)

ですので、もし、あなたが中小企業者で事業的な課題を抱えているとしたら、ぜひ「捨てること」「決めること」を徹底しましょう。捨てることは悪いことでは決してありません(少なくとも事業活動においては)。捨てれないと何も入ってこない状態に陥ってしまいます。また、こんな記事も見つけました。赤字会社の経営改善を数多く実現し、日本のドラッカーとも呼ばれた経営コンサルタント、故・一倉定氏もこう述べています。

私のコンサルティングのうちで、最も難しく、最も急ぐ事こそ「捨て去る」ことを納得させることなのである。私は、社長の決定のうちで、何が最も大切で、何が最も難しいか、という問いに対して、躊躇(ちゅうちょ)することなく「捨て去る」ことであると答えるのである。論より証拠、優秀会社は例外なく「捨てる名人」であり、破綻(はたん)した会社は例外なく「切捨音痴」である。

1日1時間も整頓に費やす会社がぐっと伸びた必然 | 企業経営・会計・制度 | 東洋経済オンライン | 社会をよくする経済ニュース (toyokeizai.net)

事業で課題を抱えたら捨てましょう。人生でも同じです。時にはあきらめることや余計なことを思考から取り除きまましょう。温泉旅行などに行くのもオススメ。お読みいただきありがとうございました(^^)