こんにちは。今回は非常に硬派なテーマでお送りします(笑)ライトな記事が好きな人には少々辛いかも。ご承知おきください。
さて、みなさんは歴史を学ぶことは好きですか?私は歴史を学ぶことが大好きです。義務教育の中で学ぶ主要5教科の中でも歴史が一番好きでした。社会人になっても歴史に対する学習意欲は高く、時間がある時は歴史上の人物や出来事に関して理解を深めています。かのアインシュタインも次の名言を残しているように歴史を学ぶことはとても有意義な時間の使い方だと私は思いますよ。
過去から学び、今日のために生き、未来に対して希望をもつ
アルベルト・アインシュタイン
さて、そんな歴史好きな私ですが、一番どこの時代が好きかと聞かれればこう答えます。実は昭和初期から今に至る、近現代の歴史が好きだと。具体的には”戦後からの復興〜高度経済成長〜バブル経済の始まりと終わり”あたりが好み。なぜか?戦争で負けて文字通り焼け野原が広がる壊滅的な状態から世界有数の経済大国に至るまでの道のりに興味があったからです。
その割に学校の教科書で学ぶ時間が少なすぎる。昭和の日本、平成の日本、今は令和の日本が地続きにリアリティを持って把握することはとても難しいのだ。今後もこの傾向は続くでしょう。三島由紀夫が予言していた通りの将来が現実味を増す2022年令和時代の日本。(三島の予言の詳細。日本経済新聞の特集記事に飛びます。興味ある方はどうぞ:https://www.nikkei.com/article/DGKKZO65222430Q0A021C2BC8000/))
さて、前置きは以上として本題へ。そんな近現代の歴史好きの私は最近、”戦後の宰相 池田勇人”をテーマに描かれた一冊の本を読み終えました。池田勇人さんが何をしたか?どこからお金を調達していたか?アメリカの誰と交渉をしていたのか?などさまざまなテーマが散りばめられていた本でとても面白かったです。
が、それ以上に私が興味を覚えたのは、池田勇人が大臣を勤めていた当時の日本の状況と、2022年の日本の状況には不思議な共通点がいくつかあったからです。次の項からは当時の日本が置かれていた状況を振り返りつつ、特徴的だった出来事を取り上げてみよう。そして、2022年今の日本が置かれた状況と照らし合わせて何が起こるか?を自由に語ってみよう。
歴史は繰り返す。最初は悲劇だが、二番目は茶番だ。
カール・マルクス
まず池田勇人とは何をした人なのか?大まかに振り返ってみよう。以下はコトバンクからの引用。主な取り組みを抜粋してみることにしよう。引用が長いがご勘弁を。非常に濃密な政治人生を歩んだ人物のため略せる箇所が少ないのだ。
政治家。広島県生まれ。京都帝国大学法学部卒業後、大蔵省に入省し、おもに税務畑を担当。1947年(昭和22)大蔵事務次官となる。1949年の総選挙で衆議院議員(広島2区)に当選し、第三次吉田茂内閣の蔵相に抜擢(ばってき)されドッジ・ラインによる財政整理にあたった。1950年3月「中小企業の一部倒産もやむをえない」、また同年12月には「貧乏人は麦を食え」と放言した。<中略> 第四次吉田内閣の通産相であった1952年11月には国会答弁中、先の中小企業についての放言を繰り返し「ヤミなど不当投機をやった人が5人や10人倒産し、自殺するようなことがあってもやむをえない」と述べたため、第二次世界大戦後初めての閣僚不信任で辞任した。<中略>1960年の安保闘争で岸内閣が退陣すると、その後を受けて同年7月、池田内閣を組織した。「寛容と忍耐」を政治姿勢として、「所得倍増」、高度成長政策を打ち出し、国論対立の焦点となる政治問題を意識的に回避しようとした。1964年11月病気のため退陣するまで4年4か月にわたって政権を担当。池田の採用した高度成長政策は、一面で日本を資本主義諸国間でGNP(国民総生産)第2位の地位に押し上げたが、他面で物価の上昇、公害、農村破壊などの新たな国民生活上の問題を生み出した。
https://kotobank.jp/word/池田勇人-30297
池田勇人の取り組みは、大雑把に分けると<蔵相時代>と<総理時代>に分けることができる。それぞれの時代に取り組んだことは次のようにまとめることができる。コトバンクに掲載されていない著名な取り組みも可能な限り、拾い出しながら振り返ってみよう。
蔵相(大蔵省の長官)、通商産業大臣時代:1949年〜1952年
- ドッジ・ラインによる緊縮財政(企業合理化による人員整理、厳しい金融引き締めなど)
- 住宅金融公庫設立(現在の独立行政法人住宅金融支援機構の前身)
- 日本専売公社(後のJT)
- シャウプ勧告と税制改革
- 日本輸出銀行(現在の国際協力銀行)、日本開発銀行(現在の日本政策投資銀行)設立
- 日本興業銀行(みずほ銀行の前身行)、日本長期信用銀行(現在の新生銀行)の設立
- 投信法の提出(後の株式投資ラッシュにつながる)
- 農地法の制定
- 度重なる問題発言
総理時代:1960年〜1964年
- 所得倍増計画の発表
- 全国総合開発計画の発表
- 太平洋ベルト地帯の形成などインフラ投資
- 高等専門学校の設置
- 農業基本法の制定
難しいことはさておき、どうだろう?この取り組みの数々。令和時代の礎となる日本経済の基盤を整備したとも言えるのではないだろうか。ただ、この記事は池田勇人の偉業を讃えるために書いたわけではない。2022年以降に起こりうる出来事を語るためだ。
さて、そうした観点で池田勇人の業績を眺めてみると注目すべきポイントは相当絞られる。色々と語りたいのだが、それだとこの記事が超大作になってしまうので困る笑 ということで、1つに絞ろう。ではその1つとはどこか?
・ドッジ・ラインによる緊縮財政(企業合理化による人員整理、厳しい金融引き締めなど)
ここに尽きる。なぜこの取り組みを池田勇人が実施したか?どんな課題に対する処置だったのか?その結果日本社会にどんな変化が起きたか?深掘りをしてみると当時の社会情勢が不思議なくらい、2022年時点の日本と似ていることに気が付く。
結果、岸田さんが首相をつとめる2022年以降日本にどんな変化が訪れるか?ある程度予測することが可能になる。何も無根拠に述べているわけではない。じっくりその理由も語ろうと思うんだ。思わず長くなってしまったので次回<後編>に続きます。お読みいただきありがとうございました😊
追伸)岸田さんが尊敬する人は池田勇人。岸田さんが所属する宏池会は池田勇人が創った派閥。出身地はどちらも広島県。