すっかり忘れていたが、私は今年36歳になった。ついこの間までは25歳くらいだと思っていたが、その感覚から早10年以上経っていたわけ。20代から今までで人生で一番印象に残っているのは「仕事」。他はあまり印象にない。これはそれほど「仕事」でうまくいかないことが多かったからだ。仕事においては悩み多い時間を過ごしてきた。サラリーマンとして組織の中で出世できるタイプとは程遠く、若いころに勉強をして資格や技能を得たり、地方でよくある地方公務員試験に合格できるほどの能力も適性もない。今でこそ、将来には特に何の不安もない精神状態ですが、20代は真っ暗闇を一人でトボトボ歩くような状態であった。
ただね、そんな私でもさすがに36歳にもなれば徐々に仕事に関する悩みは減るわけでして。徐々に人間関係が作れてくるわけで。結果的に、お仕事の作り方も分かるわけで。毎日、忙しいのは忙しいのだが、昔ほど悩むことは少なくなった。それは多分、曲がりなりにも田舎の秋田で、個人事業主として6年以上活動してきたことが影響している。たいへん良い経験をさせてもらった。
うまくいかないことや悩みが多い時はある意味幸せだと後になってから思う。現状うまくいっていないとしても、それを乗り越えていく未来という期待で何とか走れる。そう、ある程度の悩みを前へ進むための推進力となる。ただ、私のようなビジネスへたっぴでも、経験を5年以上していけば、うまくいかないことは駆け出しのころに比べれば徐々に少なくなる。うまくいかないことも当然あるが、全体としてはうまくいくことが増えていくような気がする。たとえるなら時速60kmで車を運転するのが最初は大変だったが、いつの間にか時速60kmで常時運転するのが普通になるという感覚に近い。
そうすると、なにが起こるか?自由な時間が増えてくる。趣味に没頭出来たり、本を読んだり、旅行をしたりする時間がとりやすくなるのだ。ついつい、忘れがちだが、人は何も仕事をするためだけに生きているわけでない。「嫌われる勇気」で一躍有名になった心理学者アルフレッド・アドラーは人生の課題を3つ挙げている。仕事、交友、愛の3つ。そう、仕事は3つのうちの1つに過ぎない。人生、やることが他にもあるのだ。そう、人生は思いのほか自由なのを時々思い出そう。
そんなわけで、今年の夏はとことんのんびりしようと決めていた。と言っても、家で寝て過ごしたいとわけではない、県外に行けるうちに行ってみよう、旅をしようという話。仕事のために行く出張でもなく、友達に会うわけでもなく、ただの旅。ただの旅っていつでも自由。そんな自由をたまに味わいたくなるのが人生のサガ。
もともとぶらりひとり旅は得意中の得意。弾丸日程でいろんなところに行ってきた。それで、その中の1つが東京。何気なく聞きたい講演会があったのでふらりと行くことに。とは言え、そんな長い講演会ではないので時間は余る。どこへ行くか?いろいろ考えたが、あまり浮かばない。最終的には奥さんのお使い含めてぶらぶらすることにした。奥さんは珈琲が好き、珈琲豆もこだわりが強い。そして、知り合いも多い。奥さんが大好きなお店と珈琲イベントで知り合った人のお店に遊びに行くことに。
大好きなお店も珈琲イベントで知り合った人のお店もどちらも東京・阿佐ヶ谷にあった。うだるような暑さの東京だった。阿佐ヶ谷も暑かった。JR阿佐ヶ谷駅からてくてく徒歩10分程度。目当てだったお店に到着。知る人ぞ知る名店の喫茶店。とは言え、全く格式ばったお店ではなく、静かで居心地のよい不思議な空間。当然、珈琲も絶品。マスターと奥さんが2人で切り盛りしている。聞いたところによると、奥さんは午後から接客に参加するらしい。私が行ったのは昼前後。なので、まだマスター一人であった。
1人で珈琲の旨さにうっとりとしていて、すっかり奥さんのお使いを忘れそうになったので慌てて本来の目的に立ち返る。抽出作業がひと段落したころを見計らってマスターに話しかける。実は以前、奥さんと2人でこの店に来て、談笑させていただいたこともあるのだが、そんなことを覚えてないだろうと思いつつも話してみる。結果、マスターは覚えていてくださった。有難い。
それで、その流れでコーヒー豆の注文そこそこにマスターと談笑。何を話していてそんな話になったかは全く覚えていないのだが、なぜかこのお店を立ち上げるときの話を聞かせていただけることに。以下、覚書。「本当はもっと街中に出したかったんだけど、当時(おそらく1970年代頃)はお金もなかったからさ、不動産屋さんに阿佐ヶ谷のこの物件を紹介されましてね。今、このお店から見えるケヤキがあるでしょう?あのケヤキがまだ全然育ってないころだったね。確か、不動産屋さんの人がさ、いつかはこの通りは表参道みたいにすごい通りになるはずです。なので、お店にはぴったりです。とか言っててさ(笑) 表参道にはならないだろうって思ったよ。ただ、ここに出すかと決めて、30年以上やってるね。当時で、1坪100万円くらいの保証金だったかなぁ。あのケヤキも随分おっきくなってね。このケヤキと一緒に育ってきたんだよね。」
そんな話をしてくれたわけで。その時お店にはマスターと私、2人しかいなかった。そして、2人でぼーっとそとのお店から見えるケヤキを見ながらお話しを楽しませていただきました。これはお金では買えない時間ですね。自分のお店の年月とケヤキの成長を重ね合わせてそれを人に語る、味わい深い人生を送ってきた人にしかできないでしょう。退店のときも「秋田からわざわざこんなところまで足を運んでもらってありがとうございました。」と一礼をしてくださった。その道のプロ中のプロで、この方にあこがれる珈琲業界の方も多いらしい。畏れ多い。こちらこそありがとうございました。
いいねとか、お金とかが多いとか少ないとか、住んでるところや乗っている車が高いとかどうとか、私は素敵だとかどうとか、あいつは嫌いだの好きだの、いつからかそんな話をする人が爆発的に増えた気がする。成功することも大事だが、成功するよりも夏、阿佐ヶ谷でお話ししたマスターのように味わい深い人生を送る方がもっと大事だ。味わい深いのが当たり前の贅沢な人生を送りましょう。成功に捉われず、心豊かに。そんなことを思った旅でした。