(ふるさと秋田、そしてわたしへ)江戸以降の豊かさ幻想から目を覚まし創意工夫するべきは今なのだ

 こんにちは。吉野です。三連休の最終日、いかがお過ごしですか?私は今週末のセミナーの準備やらで忙しくすごしています。違うな笑 土曜日は奥さんと盛岡で開催された北のクラフトフェアへいっていきました。全国各地から工芸品をつくっている職人さんたちがたくさん集まるイベント。楽しかったなぁ。盛岡という街は一見すると地味。

だがしかし、本当に奥深い魅力を持つ街なのだ。古い建物が残っていたり、歴史や物語を大切にする気風があったり、全国的にも有名な喫茶店が数多くあったりと。。。東京や仙台などに広がる日本の都市風景をアメリカ的と括るならば、盛岡市のそれはヨーロッパ的な感じがするのだ。中心部に川が流れる風景はどこか京都四条あたりにも似ている。盛岡という街からは消費文化のにおいはあまりしない。流行には安易に流されないで自分たちの文化を貫くという無骨だが力強い雰囲気が色濃く残っている。流行ものや浮ついた雰囲気や派手なイベントが苦手で歴史や文化、地味だが丁寧な仕事ぶりに惹かれる私にとっては盛岡は非常にここちよい。11月また行くことを楽しみにしているよ。

盛岡の話を冒頭持ってきたので、次はわたしのふるさと秋田の話をしよう。私は秋田のことは好きだ。人柄も穏やかな人が多く、東北人のなかでは割と楽観的で社交的な人が多い気がする。温泉も多く、野菜もお米もおいしい。だがしかしだ、このままでは秋田は非常に厳しい未来が待っていると言わざるを得ない。それは少子高齢化がどうした、県知事や市長、まちづくりがどうした、という原因ではないまったく別の視点で感じることなのだ。

秋田県という県は実に恵まれた県であり、一種のユートピアだったのではないか?と私は思っている。江戸時代から昭和の高度経済成長の間はとくにそうだっただろう。なぜか?秋田は「富が自然に出てくる場所」であり続けたからだ。具体例を挙げよう。秋田には鉱物資源、石油資源、温泉、秋田杉、はては、お米、伝統工芸、日本酒までとにかく「豊かさの象徴たるもの」が出てくる場所だったのだ。未開の地と思われてきた東北の地に山ほど金銀銅が取れる鉱脈が発見されたら江戸時代のお偉いさんはどう思っただろう?しかも温泉もある!ここは楽園かと思ったのではないのだろうか。。。

そう、秋田は長い間「北の楽園」であった土地なのだ。では実際の今の秋田はどうか?少子高齢化や所得減少など苦境に喘いでいる。しかしながら、奇妙なことに、秋田県在住の人たちは年齢関係なくそこまで絶望したり、必死に何とかしようと思っている雰囲気はあまりない気がする。実に不思議だ。ではなぜか?これは私の仮説だが、江戸時代以降蓄積されてきた「北の楽園であったころの豊かな記憶」の残滓があるからだと考えている。昔のよかったイメージがもたらす多幸感は強烈だ、感動的な映画を見たときの余韻がずっと残っているような感じに近い気がする。秋田は平成以降もずっとその記憶が県全体を包んでいる気がする(目には見えんがね)それを悪いことだとは思わないが、時代は変わったのだ。いつのまにか秋田は「豊かさの象徴が自然に湧き出る場所」ではなくなり、基幹産業も育っていない課題山積みの東北の一県になったのだ。今の日本の豊かさを示す場所はおそらく東京でしょう。人・モノ・カネが集まる場所こそ豊かさの象徴となったのだ。

持たざる場所は持たざる苦悩を知り、創意工夫を必死でやる。いつか豊かになることを夢見て。秋田は現在、秋田県としての県政が始まって以来の危機的状況にあると私は勝手に思っている。今まで持たざる状況になったことが少なく、そしてその状況を自力で打開する創意工夫を積極的に行ってこなかったのに”それ”に取り組まざるをえない状況に立っているからだ。

今は豊かさの幻想から目を覚まして、今一度、創意工夫で価値を高める必要がある。事業者ならなおさらだ。豊さはあるものではなく、創意工夫の結果得られる1つの結果だ。お米があるのは当たり前じゃない、温泉があるのは当たり前じゃない、石油資源が掘れば出てくるのも、風が強いのも当たり前じゃない、天然資源に頼らず、そろそろ自立の道を探るタイミングなのではないか?ずっとやってこなかった宿題をやる子供みたいだけど、やればきっとできるからさ、がんばろうね、秋田県。私もがんばるから。政治家みたいな文章になったな笑 選挙はもちろん出ません(笑) お読みいただきありがとうございました。来週もがんばれ!